『鷲は舞いおりた』は1976年のイギリスの戦争映画。ジャック・ヒギンズの戦争冒険小説『鷲は舞い降りた』を映画化したもの。
ウィンストン・チャーチルを拉致してドイツへ連れてくるというヒトラーの思いつきに命をかけて作戦を遂行していく軍人や工作員たちの活躍と悲劇を描いている。
高校生のころ原作を読んで感動し、その後テレビで放送された映画を見ました。
映画は、ラストの描き方が原作とは違う結末となっている。
キャスト
クルト・シュタイナー - マイケル・ケイン
リーアム・デヴリン - ドナルド・サザーランド
マックス・ラードル - ロバート・デュヴァル
モリー - ジェニー・アガター
ヒムラー - ドナルド・プレザンス
カナリス - アンソニー・クエイル
ピット大佐 - ラリー・ハグマン
クラーク大尉 - トリート・ウィリアムズ
スタッフ
監督:ジョン・スタージェス
製作:ジャック・ウィナー、デイヴィッド・ニーヴン・ジュニア
原作:ジャック・ヒギンズ
脚色:トム・マンキーウィッツ
撮影:アンソニー・B・リッチモンド
音楽:ラロ・シフリン
編集:アン・V・コーツ
美術:ピーター・マートン
衣装:イボンヌ・ブレイク
提供:アソシエイテッド・ジェネラル・フィルムズ、ITC
■you tube 鷲は舞いおりた 映画予告編
■you tube 鷲は舞いおりた シュタイナー部下との別れのシーン
■you tube 鷲は舞いおりた
ツェッペリン(Zeppelin)は、第一次世界大戦でドイツ軍が使用した飛行船を題材にした1971年公開のイギリス戦争映画。
当時CGは無いから、模型を使って撮影されたが、ツェッペリン飛行船は模型とは思えぬ迫力の映像が展開する映画。
キャスト
ジェフリー・リヒター中尉 :マイケル・ヨーク
エリカ :エルケ・ソマー
タントラー少佐: ピーター・カーステン
アルツシェル博士 :マリウス・ゴーリング
ヒルシュ大佐 :アントン・ディフリング
フォン・ゴリアン船長 :アンドリュー・ケア
ウィットニー大尉 :ルパート・デービス
ステファニー :アレクサンドラ・スチュワルト
監督
エチエンヌ・ペリエ
脚本
アーサー・ロウ
ドナルド・チャーチル
音楽
ロイ・バッド
■you tube Zeppelin Takeoff Scene
■you tube Zeppelin (1971)
ヨーゼフ・アラーベルガー上級兵長。第3山岳師団第144連隊所属の山岳猟兵。
東部戦線で257名を狙撃で倒したエーススナイパーの一人。
345名を倒したマテウス・ヘッツェナウアーMatthäus Hetzenauerにつぐドイツ軍第2位の記録であるとされる。
劣勢の東部戦線で次々に敵を倒し獅子奮迅の活躍を見せ、敗戦をチェコで迎える。
ソ連軍の捕虜となり狙撃兵であることが発覚すれば、拷問や処刑といった過酷な運命が待っていた。
アラーベルガーは報復を恐れ決死の脱出行で米軍占領下の故郷のシュタイアーマルク州ザルツブルクにたどり着き降伏するが、ソ連軍に引き渡されそうになり脱走し、一般人にまぎれこみ家業の家具職人となる。
2010年3月2日にオーストリアのヴァルス・ズィーツェンハイムで85歳で死去した。
Tauchpanzer Ⅳ タオホ パンツァー Ⅳ(Ⅳ号潜水戦車)
英本土上陸ゼーレーヴェ作戦(アシカ作戦)用に4号戦車D型を改造した潜水戦車。
シュノーケルを水面のフロートで浮かして給排気を行い水底を走行する潜水渡渉方式の潜水戦車である。
砲塔前面や機銃の周囲に防水シール取り付け用の枠が見える。
下から2番目の写真は給排気用の太い蛇腹ホース。
防水箇所はコーキング材、防水布、金属カバーなどでシーリングされたが、主砲や機銃のカバーは上陸後すぐ使用できるように火薬で吹き飛ばせるようになっていた。
英本土上陸が断念され、後にバルバロッサ作戦で第18装甲師団にⅢ号潜水戦車とともに集中配備されブーク川渡河で実戦投入された。
グラン・サッソ襲撃(ベニート・ムッソリーニの救出作戦)といえば、武装親衛隊のオットー・スコルツェニーが有名だが、急襲部隊の指揮官は空軍のハラルト・オットー・モルス少佐が指揮していた。
スコルツェニーは急襲後のムッソリーニの保護を命じられていた。
ヒトラーはバドリオ政権によって拘束されたムッソリーニの救出を空軍のクルト・シュトゥデント大将に命じ、空軍の指揮下で作戦が計画され実施された。
シュトゥデントはラジオ放送の暗号解読等による調査の結果、ムッソリーニがグラン・サッソのホテル「カンポ・インペラトーレ」に幽閉されていることを突き止め、山頂にモルス少佐指揮の下、降下猟兵と武装親衛隊をグライダーで降下させた。
山荘の警備にあたっていたイタリアの国家憲兵は抵抗することなく、幽閉されていたムッソリーニの身柄は無傷で確保された。
急襲後、スコルツェニーはムッソリーニとともにFi156に乗り込んで、機は重量オーバーながらも無事に離陸し、グラン・サッソを脱出した。
このときの記録映像が週間ニュース等で大々的に報道され、スコルツェニーは一躍有名となった。
ハラルト・オットー・モルスは1945年西部戦線でB軍集団に従軍し、アメリカ第3軍にルール工業地帯で包囲され、捕虜となった。
戦後、ドイツ連邦軍に入隊して最終階級は大佐。
2001年にバイエルン州シュタルンベルクで死去した。
※下写真:黒服のムッソリーニの左側の人物がモルス少佐。
■NHKアーカイブス ベニート・ムッソリーニの救出作戦
1943年冬の東部戦線での撮影とされる。
砲塔のシュルツェンのみで車体側面のシュルツェンを装着していない状態のIV号戦車H型ないしG後期型。
シュルツェンを装備した状態のIV号戦車は4号の造形?として最もバランスのよい形体に見える。
私はそう感じてしまうのだが・・・
IV号戦車H型は1943年4月から生産が始まり、1944年7月までに3,774両が生産され、この次期新型主力戦車パンターの量産が軌道に乗っていたが、IV号戦車の生産ラインをパンターに切り替える時間的余裕はなく、切迫する戦況に生産が続けられた。
IV号戦車G型(Sd.Kfz.161/1)、特にその「後期生産型」は、IV号戦車が「支援戦車」から「主力戦車」へと完全に脱皮した、ドイツ軍戦車の重要な転換点にある戦車。
1943年冬の東部戦線において、ソ連軍の新型戦車(T-34/76の改良型など)に対抗すべく、矢継ぎ早に改良が施された車輛。
IV号戦車G型の総生産数は前期、中期、後期型合わせて1,687~1,930輌。
7.5cm KwK 40 L/48を装備。G前期型は43口径だったが、1943年4月頃の生産分からより長砲身48口径へと移行した。これにより、遠距離からソ連戦車を仕留める能力が向上した。
マズルブレーキの形状が球形に近いものから、より効率的な「ダブルバッフル型(あるいは新型の鋳造タイプ)」へと形状が変化したのも外見上の特徴の一つ。
防御力の向上と増設装甲板「シュルツェン」が装着された。
1943年、ソ連軍の対戦車ライフルによる被害が深刻化し、G型後期には追加装甲が施された。
シュルツェン(増設装甲板)は、1943年春から車体側面と砲塔周囲に5mm〜8mmの軟鋼板(シュルツェン)が装備された。これが「後期型」を最も特徴づけるシルエットとなっている。
前面装甲は合計80mmに強化。初期のG型は50mmの装甲に30mmの追加装甲をボルト止めしていたが、後期型では生産工程の簡略化のため、最初から80mmの一枚板で構成された車体となった。
インド人義勇兵を視察するロンメル
汗を流せ、血を流すな。
まず人の犠牲を最小限にするための努力をせよというロンメルの言葉。
■you tube(ロンメルの肉声) Field Marshal Rommel Recounts the North African Campaign- ca. October 1942 [Full HD]
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