試作重戦車マウス
軍需大臣のアルベルト シューペーアはマウスを総統とポルシェ博士のおもちゃと酷評していた。
■ヒトラーとポルシェ博士の巨大な玩具
Panzerkampfwagen VIII Maus マウス
PR
I号戦車の車体を流用したI号架橋戦車(Brückenleger I)。
この車両は、電撃戦の立役者である装甲師団の進撃速度を落とさないために開発されたドイツ軍における最初の架橋戦車。
第二次世界大戦初期、ドイツ軍は電撃戦を実現するために、戦車部隊が河川や溝を迅速に突破する手段を必要としていた。そこで、当時すでに旧式化しつつあったI号戦車B型(Pz.Kpfw. I Ausf. B)をベースに、戦闘工兵向けの支援車両として開発されたのが本車である。
1939年にクルップ社とマギルス社によって開発が始まり、1940年のフランス侵攻に向けて少数が生産された。
本車は、I号戦車B型の砲塔を撤去し、車体上部に巨大な架橋設備を搭載している。
架橋方式、車体前方に突き出したフレームを使い、橋をスライドさせて設置する方式。
架橋のスペック、全長: 約8~9メートル
耐荷重、約8トン(I号、II号戦車程度の通過を想定)
1940年のフランス侵攻(西方電撃戦)において、第1、第2、第3、第5、第10の各装甲師団に配属され実戦投入された。
当初は期待されたが、重量バランスの悪さが致命的欠陥となった。
I号戦車のシャーシに対し、巨大な橋と架橋機構はあまりに重すぎ、これによりエンジントラブルや足回りの故障が頻発。
砲塔がなく、作業中は無防備になるため、最前線での運用には大きなリスクがあった。
1941年のバルバロッサ作戦初期まで一部で使用されたが、より大型で強力なIV号架橋戦車にその座を譲り、急速に姿を消していった。
■架橋戦車、地雷除去戦車
ロンメルの強みは、最前線で自ら指揮を執る「現場主義」にあった。
その一例として
本来は対空砲であった「88ミリ高射砲」を対戦車砲として転用し、イギリス軍の強力な戦車を次々と撃破した。
戦場に現在ある装備を見て、高射砲という概念にとらわれない発想。
敵の心理状態を読み、トラックに擬装網を被せて戦車に見せかけたり、逆に戦車に大量の砂埃を上げさせて大部隊の移動に見せかけたりする「騙し」のテクニックの多用。
ロンメルは戦車部隊を駆使したスピード感あふれる攻撃を得意とし、広大な砂漠という地形を最大限に活かし、敵の裏をかく大胆な迂回作戦を何度も成功させた。
■砂漠の狐 Desert Fox ロンメルの肖像
このヘッツアーは、「アンブッシュ迷彩」ではなく、ダークイエロー(ドゥンケルゲルプ)をベースに、オリーブグレイとレッドブラウンを配した、よりスタンダードな境界のはっきりした三色迷彩の車輛。
■Jagdpanzer 38(t) (ヘッツアー)
ドイツ軍の12.8 cm高射砲(12.8 cm FlaK 40)は、第二次世界大戦においてドイツが実用化した中で最も強力な重高射砲。
有名な「8.8 cm高射砲」の拡大発展型といえる存在で、その圧倒的な射高と威力により連合軍の爆撃機に対し重高射砲として恐れられた。
1936年にラインメタル社によって開発が始まり、1942年頃から本格的に実戦配備された。
圧倒的な射程と射高: 有効射高は約10,675m、最大射高(垂直射撃時)は約14,800mに達した。
これは当時高高度を飛行していた連合軍の重爆撃機(B-17やB-24など)を十分に射程内に収める性能であった。
26kgを超える重量の砲弾を初速880m/sで発射した。
12.8 cm砲の爆発威力は、8.8 cm砲の数倍に達し、直撃せずとも時限信管による破片で大きなダメージを与えることができた。
巨大な砲弾を扱うため、装填補助装置(パワーランマー)が備えられており、毎分10〜12発という高い発射速度を維持できた。
この砲は非常に巨大で重かったため(約17トン)、初期の牽引式から、より固定的な運用へとシフトし、12.8 cm Flakzwilling 40(連装型)最も有名なのが、2門の12.8 cm砲を1つの砲架に搭載した「連装高射砲(ツヴィリング)」である。
高射砲塔(フラクタワー): ベルリン、ハンブルク、ウィーンなどの主要都市に建設された巨大なコンクリート製要塞「高射砲塔」の屋上に設置され、都市防空に活躍した。
発射速度: 2門合わせて毎分20〜24発という圧倒的な火力を誇った。
列車砲型(12.8 cm Flak 40/4)機動性を持たせるため、貨車に搭載されたタイプは、防空が必要な場所へ線路を伝って移動することが可能だった。
対戦車砲としての活用では、8.8 cm砲と同様にこの12.8 cm砲も強力な対戦車能力を持っていた。
圧倒的な貫通力、その長砲身(61口径)から放たれる徹甲弾は、当時のあらゆる連合軍戦車を数キロ先から撃破できた。
地上戦での活躍は、1945年のベルリン市街戦が有名で、高射砲塔に据えられた12.8 cm連装砲が、数キロ先のソ連軍戦車部隊を射撃し、甚大な損害を与えたという記録が残っている。
派生兵器としてこの砲の設計をベースに、重駆逐戦車「ヤークトティーガー」の主砲(12.8 cm PaK 44)や、自走砲「シュトゥーラー・エミール」の主砲が開発された。
主な諸元
口径128 mm砲身長7,835 mm(61口径)
重量約17,000 kg(固定式)/ 約27,000 kg(移動時)
最大射高14,800 m
初速880 m/s発射速度10〜12発/分(単装)
12.8 cm高射砲は、ドイツの科学技術の結晶とも言える兵器だが、その巨大さとコストゆえに総生産数は約1,100門程度に留まった。しかし、主要都市の防空においてその存在感は圧倒的であり、戦後も一部の技術は各国の兵器開発に影響を与えた。
爆撃で破壊されたアーンエム橋。
ドイツ軍がこの橋を利用して増援を送るのを防ぐため、1944年10月7日、連合軍のB-26爆撃機によって破壊された。
ライン川に没したアーンエム橋の背景には、激しい戦闘で損傷したアーンエムの街並みと、聖エウセビウス教会の塔らしきシルエットが見える。
戦後、橋は再建され、当初の設計と同じデザインで復元された。
1978年橋の名称は、この橋で勇敢に戦い、橋の北端を数日間に渡って確保したイギリス軍の先遣隊指揮官のジョン・フロスト中佐(John Frostbrug)の名を橋に命名し、ジョン・フロスト橋と改名された。
■マーケットガーデン作戦写真
戦後のフランスでパンター戦車(Panzerkampfwagen V Panther)の車体を流用して製作された、ACM社製の重クレーン車。
パンターは戦後フランス以外にもブルガリアでも使用されている。
フランスには、ドイツ軍が放棄したパンター戦車が大量に残されていて、フランス軍はこれらを収集し、フランス陸軍で1950年頃まで実戦配備していたが、退役後や部品取り後の車体が民間の重機メーカーに払い下げられた。
写真の車両は、フランスのACM(Ateliers de Construction de Maintenon)社が、パンターの強力なシャーシと走行性能を活かして改造したもの。
側面にある「ACM」のロゴと、操縦席下の「DÉFENSE de PASSER SOUS LA CHARGE(吊り荷の下を通るべからず)」というフランス語の警告板が、フランス国内で運用されていたことを示している。
パンターの車体は45トン近い重量を支える設計であり、マイバッハHL230エンジンによる高出力も相まって、当時の民間用重機としては破格のパワーを持っていた。
「戦うための機械」が「復興のための機械」へと姿を変えた姿は、戦後ヨーロッパの歴史を象徴しているとも言える。
最新記事
(07/02)
(06/29)
(06/21)
(06/09)
(05/23)
(05/23)
(05/21)
(05/20)
(05/13)
(05/12)
(05/09)
(05/01)
(04/24)
(01/26)
(11/07)
(10/03)
(10/14)
(09/29)
(08/12)
(08/05)
(07/31)
(01/23)
(09/22)
(06/15)
(03/04)
最古記事
(03/27)
(04/15)
(04/23)
(05/04)
(05/05)
(05/05)
(05/05)
(05/06)
(05/07)
(05/10)
(05/10)
(05/11)
(05/13)
(05/19)
(05/25)
(06/05)
(08/27)
(10/05)
(11/24)
(11/24)
(11/28)
(11/28)
(11/30)
(12/01)
(12/01)
アーカイブ
最新トラックバック
ブログ内検索
カレンダー
| 08 | 2026/09 | 10 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 |
カウンター
****
読み込み中...
