グラン・サッソ襲撃(ベニート・ムッソリーニの救出作戦)といえば、武装親衛隊のオットー・スコルツェニーが有名だが、急襲部隊の指揮官は空軍のハラルト・オットー・モルス少佐が指揮していた。
スコルツェニーは急襲後のムッソリーニの保護を命じられていた。
ヒトラーはバドリオ政権によって拘束されたムッソリーニの救出を空軍のクルト・シュトゥデント大将に命じ、空軍の指揮下で作戦が計画され実施された。
シュトゥデントはラジオ放送の暗号解読等による調査の結果、ムッソリーニがグラン・サッソのホテル「カンポ・インペラトーレ」に幽閉されていることを突き止め、山頂にモルス少佐指揮の下、降下猟兵と武装親衛隊をグライダーで降下させた。
山荘の警備にあたっていたイタリアの国家憲兵は抵抗することなく、幽閉されていたムッソリーニの身柄は無傷で確保された。
急襲後、スコルツェニーはムッソリーニとともにFi156に乗り込んで、機は重量オーバーながらも無事に離陸し、グラン・サッソを脱出した。
このときの記録映像が週間ニュース等で大々的に報道され、スコルツェニーは一躍有名となった。
ハラルト・オットー・モルスは1945年西部戦線でB軍集団に従軍し、アメリカ第3軍にルール工業地帯で包囲され、捕虜となった。
戦後、ドイツ連邦軍に入隊して最終階級は大佐。
2001年にバイエルン州シュタルンベルクで死去した。
※下写真:黒服のムッソリーニの左側の人物がモルス少佐。
■NHKアーカイブス ベニート・ムッソリーニの救出作戦
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