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無線手機銃手用ハッチから顔だけ出して食事をする戦車兵。
砲塔左の主砲用照準器が単眼式照準器なのと回転式前部ハッチからこのパンターはA型である。
ちなみに照準器はTZF12aを搭載している。下二枚写真がTZF12a照準器と照準画面。

この回転式前部ハッチは単純な構造のように見えるが生産取り付けにはヒンジ式より手間がかかるらしく、G型ではヒンジ式ハッチに変えられている。

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ドイツ空軍女性補助員。

第二次世界大戦、連合軍ドイツ軍共に、日本も多くの女性が補助員、労働力として動員された。

上写真は、都市部への空襲に備える対空監視の連絡に空軍に徴用されたドイツ人女性。
プロパガンダ映像だろうか。怖いくらいの真剣な表情をとらえた写真。
週間ニュースの一部かもしれない。

下写真は、同じく空軍に徴用され、訓練を受ける女性たち。

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米軍が捕獲したティーガーⅡをメリーランド州アバディーンにある戦車試験場で試験調査した後、装甲板を切り取り展示したもの。
この車両は切り取った部分に鉄板を貼り付け現在でもアバディーンに展示されている。

カットモデルのようである。

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グラン・サッソ襲撃(ベニート・ムッソリーニの救出作戦)といえば、武装親衛隊のオットー・スコルツェニーが有名だが、急襲部隊の指揮官は空軍のハラルト・オットー・モルス少佐が指揮していた。
スコルツェニーは急襲後のムッソリーニの保護を命じられていた。

ヒトラーはバドリオ政権によって拘束されたムッソリーニの救出を空軍のクルト・シュトゥデント大将に命じ、空軍の指揮下で作戦が計画され実施された。
シュトゥデントはラジオ放送の暗号解読等による調査の結果、ムッソリーニがグラン・サッソのホテル「カンポ・インペラトーレ」に幽閉されていることを突き止め、山頂にモルス少佐指揮の下、降下猟兵と武装親衛隊をグライダーで降下させた。

山荘の警備にあたっていたイタリアの国家憲兵は抵抗することなく、幽閉されていたムッソリーニの身柄は無傷で確保された。
急襲後、スコルツェニーはムッソリーニとともにFi156に乗り込んで、機は重量オーバーながらも無事に離陸し、グラン・サッソを脱出した。
このときの記録映像が週間ニュース等で大々的に報道され、スコルツェニーは一躍有名となった。

ハラルト・オットー・モルスは1945年西部戦線でB軍集団に従軍し、アメリカ第3軍にルール工業地帯で包囲され、捕虜となった。
戦後、ドイツ連邦軍に入隊して最終階級は大佐。
2001年にバイエルン州シュタルンベルクで死去した。

※下写真:黒服のムッソリーニの左側の人物がモルス少佐。




NHKアーカイブス  ベニート・ムッソリーニの救出作戦











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Ⅱ号戦車の武装は20ミリ機関砲1門と7.92ミリ機銃1門だが、その55口径20ミリ機関砲 (2cm KwK30 L/55)は高射機関砲を転用したもので初速が速く、榴弾、徹甲弾両方が射撃可能で対歩兵用や軽装甲車両には充分な威力を持っていた。
ポーランドやフランス戦など電撃戦の初期にはⅡ号戦車は訓練用戦車として開発された車両にもかかわらず、小型軽量で機動力の高さから機甲師団の実質的な主力戦車として活躍した。
東部戦線でT34やKV、北アフリカで英軍のマチルダ等に遭遇するまでは安価で生産性が高く存在意義は充分にあった。

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1943年冬の東部戦線での撮影とされる。
砲塔のシュルツェンのみで車体側面のシュルツェンを装着していない状態のIV号戦車H型ないしG後期型。
シュルツェンを装備した状態のIV号戦車は4号の造形?として最もバランスのよい形体に見える。
私はそう感じてしまうのだが・・・

IV号戦車H型は1943年4月から生産が始まり、1944年7月までに3,774両が生産され、この次期新型主力戦車パンターの量産が軌道に乗っていたが、IV号戦車の生産ラインをパンターに切り替える時間的余裕はなく、切迫する戦況に生産が続けられた。

IV号戦車G型(Sd.Kfz.161/1)、特にその「後期生産型」は、IV号戦車が「支援戦車」から「主力戦車」へと完全に脱皮した、ドイツ軍戦車の重要な転換点にある戦車。
1943年冬の東部戦線において、ソ連軍の新型戦車(T-34/76の改良型など)に対抗すべく、矢継ぎ早に改良が施された車輛。
IV号戦車G型の総生産数は前期、中期、後期型合わせて1,687~1,930輌。
7.5cm KwK 40 L/48を装備。G前期型は43口径だったが、1943年4月頃の生産分からより長砲身48口径へと移行した。これにより、遠距離からソ連戦車を仕留める能力が向上した。

マズルブレーキの形状が球形に近いものから、より効率的な「ダブルバッフル型(あるいは新型の鋳造タイプ)」へと形状が変化したのも外見上の特徴の一つ。
防御力の向上と増設装甲板「シュルツェン」が装着された。
1943年、ソ連軍の対戦車ライフルによる被害が深刻化し、G型後期には追加装甲が施された。
シュルツェン(増設装甲板)は、1943年春から車体側面と砲塔周囲に5mm〜8mmの軟鋼板(シュルツェン)が装備された。これが「後期型」を最も特徴づけるシルエットとなっている。
前面装甲は合計80mmに強化。初期のG型は50mmの装甲に30mmの追加装甲をボルト止めしていたが、後期型では生産工程の簡略化のため、最初から80mmの一枚板で構成された車体となった。

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フンメルの30口径15cm重榴弾砲sFH18の砲弾。
分離薬莢式の砲弾で、弾種はHE(榴弾)のGr.19と、AP(徹甲弾)のGr.19Hl/Aの二種類があった。
写真はGr.19。
通常6個の装薬を距離に応じて調整して使用した。
指揮官の判断で特別に8番装薬まで用いて発射した場合、砲口初速495m/秒、最大射程は13,250m。

この重榴弾砲は10.5cm leFH 18と共にドイツ陸軍と武装親衛隊の師団砲兵に装備された主力榴弾砲だが、車軸にサスペンションが無く移動速度が遅く、また泥濘地や積雪状態では機甲部隊に追随することが出来なかったがフンメルに搭載されようやく随伴が可能になった。

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軟弱地盤にめり込んで動けなくなって放棄されたようだ。
前部が上がっているのでローギアでエンジンをふかして何とか脱出を試みたのだろう。
戦闘が終わり平和を取り戻し、脇の夫婦と思われるカップルが記念撮影といったところか。

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ラインメタル社の傘下にあったスイスのゾロターン社が開発した対戦車ライフル。
装甲貫徹力は距離100m、撃角60度で20mmの装甲を貫通した。
大戦が始まり戦車の装甲が厚くなると、対戦車ライフル自体が陳腐化してしまうが、重機や軽機にはない迫力がある。
兵器の持つ凄みを感じさせる。

口径:20ミリ
重量:45 kg (マガジン無し)
全長:176 cm
銃身長:92.5 cm
弾丸 20×105mm
作動方式 セミオートマチック
初速 735 m/s 徹甲弾
装填方式 10発ボックスマガジン

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酷寒の中での戦車兵の表情が印象的だ。
1941年のロシアで冬将軍に見舞われた次期の撮影。
車種は三号戦車G~J型のいずれかと思われる。

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インド人義勇兵を視察するロンメル

汗を流せ、血を流すな。
まず人の犠牲を最小限にするための努力をせよというロンメルの言葉。


    
you tube Panzer rollen in Afrika vor

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前線において整備成ったティーガーⅠ初期型。
真新しいダークイエローの塗装が予備キャタピラにもそのまま塗られている。
転輪の周りのゴムの部分にもダークイエローの塗料がはみ出して塗られている。
前線での整備では、整備後の塗装はラフに塗られているのだと納得させられる写真。
車体前面装甲には砲弾をはじき返した凹みが数ヶ所見える。
砲塔には第505重戦車大隊所属を示す馬上の騎士が描かれている。

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パンターG型とそのクルー。
左端の戦車兵、キューピーのような見事な禿である。

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パンツァージャケットを着用している。
ドイツ軍女性戦車兵?
写真のキャプションはPanzer 20Womanのみ。
詳細不明。

オーロラモデルに1/35でドイツ軍の架空女性戦車兵が販売されているが、あくまで架空のフィギュア模型。

この写真が単にプロパガンダとして撮影されたものなのか本当に女性戦車兵が存在したのか分からないが。



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ドイツ空軍の対戦車攻撃機では、ヘンシェル Hs129やユンカースJu87G「スツーカ」がある。
「戦車撃破王」として有名なハンス・ウルリッヒ・ルーデルだが、戦後アメリカの対地攻撃機A-10の開発にあたってフェアチャイルド・パブリック社が彼を顧問に招いている。
A-10にはルーデルの貴重な体験に基づいた設計が盛り込まれている。
またA-10の開発担当者たちは、彼の著作は必読書とされたという。


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マズルブレーキ側面開口部の塗装の剥げ方が模型製作の参考になりそう。
白黒写真なのでよく分からないが、相当数発砲しているだろうから、マズルブレーキと砲身は恐らく薄っすらと黒ずんでいるのだろう。
マズルブレーキ内側は磨かれて鉄のシルバーがピカピカしているように見える。
常に戦闘可能な状態を保つ為にメンテナンスがしっかりしているからだろうか。
パンターA型の群れのようである。

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現在他のサーバーに移設中です。
申し訳ありません、正常に戻るまで今しばらくお待ちください。

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渡河しきれずに放置されたパンターD回収型。
背後に記念撮影するかのようにソビエト兵が集まっている。

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取り外されたマイバッハHL210-P45エンジン。
大重量のティーガーを動かすには、このエンジンでは負荷が多く走行500~700キロでオーバーホールしなければならなかった。
ティーガー伝説も整備兵の地道な努力があって生まれた。
戦は補給や整備など後方部隊の活躍があってはじめて成立するものであり、ビットマンやカリウス、クニスペルの活躍の陰に整備兵たちの努力があったことを忘れてはならない。
エンジンを吊り上げるクレーントラックはビルシュタイン製の6tクレーンを搭載したビューシングNAG4500-1である。

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撃破したT34を遮蔽物として、脇の窪みを陣地としている。
まるでジオラマの一場面のようである。

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ドイツ女子同盟   Bund Deutscher Mädel

ヒトラーユーゲントの女子版組織。
訳語は一定しておらず、ドイツ少女団、ドイツ処女団、ドイツ女子団とも訳されているようだ。
1930年に発足し、終戦まで存在した。
若年未婚の女子で、ドイツ民族の血統に属していることが入団の資格だった。
ドイツの将来を担う良妻賢母の育成が理念とされたが、従軍看護婦としての訓練や式典に備えて軍歌の練習も行われた。

youTube Bund Deutscher Mädel

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Sturmhaubitze 42, StuH 42

3号突撃砲の車体に105ミリ榴弾砲を搭載したトーチカ攻撃用に開発された突撃砲。
1941年11月のレニングラード戦投入以来、通常の突撃砲に対し約3割の割合で配備された。
総生産数は1212輌。
前線での評価は高く、共に戦った歩兵からは10.5cm StuH 42は絶対に必要との報告がされていたという。
後期生産タイプでは、マズルブレーキは無くても問題ないとの運用結果から取り付けられていない車輛もある。

you tube Sturmhaubitze 42映像

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オストヴァルトゥルム(Ostwallturm 東方の壁砲塔)

コンクリートのトーチカ上にパンターの砲塔だけを置いた固定砲台。
トーチカ部分は地中に埋めるため、低姿勢となった砲塔の発見は困難であった。
イタリアで1基のオストヴァルトゥルムと対峙した英軍は戦車10両を撃破されたという。
トーチカ内には砲塔回転用のモーターが搭載されておりモーター駆動で砲塔が回転した。
乗員用の簡単な居住施設(ストーブ付き)も内部に設けられていた。
上面装甲は榴弾砲の砲撃にも耐えられるように40ミリに強化されていた。

*参考写真

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カール・マイバッハ Karl maybach

マイバッハエンジンの技術者、経営者。
彼の父ウィルヘルム・マイバッハ(Wilhelm Maybach)はツェッペリン飛行船のエンジンを設計製造するエンジン製作会社を経営していた。
父ウィルヘルムの死後、カールは会社を受け継ぎ航空機エンジンの他に戦車や船舶など様々なエンジンを設計製造する会社に成長させた。
第二次世界大戦中のドイツ軍戦車のほぼ全てがマイバッハ社製のエンジンを搭載していた。
戦後1952年にカール・マイバッハは引退し、会社はダイムラー・ベンツ社の傘下に入った。
マイバッハエンジンは現在でもドイツの高級車に搭載され、そのDNAは脈々と生きている。
2002年ダイムラークライスラー社の高級ブランド名として、マイバッハの名を冠したベンツマイバッハが発売されている。

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燃料輸送列車からドラム缶とジェリカンに燃料を移す作業を行っている。
東部戦線におけるドイツ軍の補給物資は膨大で、輸送は大変な労力を要した。
一個機甲師団の一日の燃料補給は約300トンが必要とされ、10日間の作戦行動のためには燃料だけで3.000トンが必要になる。
歩兵師団には一日70トンの燃料が割り当てられていたという。
バルバロッサ作戦開始時のドイツ軍は144個師団、350万の兵力(その内の17個が機甲師団)を有していた。
これらの部隊へ燃料、弾薬、食料、その他を毎日補給するのだからとてつもない労力だ。
補給物資は鉄道が通っている主要地点までは鉄道輸送され、後はトラックか馬による輸送となる。
ドイツとロシアでは鉄道軌間の規格が違うため、軌間変更作業が行われた。
ヨーロッパの標準軌(1,435mm)に対し、ソ連は広軌(1,524mm)を採用していた。
ドイツ軍は鹵獲したソ連の機関車を使うか、あるいは線路を一本ずつ内側に打ち直して標準軌に作り変える必要があった。
ドイツ軍は、ポーランド国境側から合計距離300マイル程度軌間改修しただけで、前線は遥か先であった。
更にソ連のパルチザンによる鉄道の破壊により、補給路は常に爆破工作に晒され、列車の運行は頻繁にストップしていた。
酷寒のロシアでは、ドイツ製の機関車はボイラーが凍結・破裂して動かなくなるトラブルが相次いだ。
このような困難な補給事情により、東部戦線では慢性的に物資が不足する状況が続いた。

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 プロフィール
HN:
Heinz Wilhelm Guderian
性別:
男性
職業:
不動産賃貸業
自己紹介:
ドイツ第三帝国陸軍上級大将。
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