インド人義勇兵を視察するロンメル
汗を流せ、血を流すな。
まず人の犠牲を最小限にするための努力をせよというロンメルの言葉。
■you tube Panzer rollen in Afrika vor 初音ミク
ドイツ女子同盟 Bund Deutscher Mädel
ヒトラーユーゲントの女子版組織。
訳語は一定しておらず、ドイツ少女団、ドイツ処女団、ドイツ女子団とも訳されているようだ。
1930年に発足し、終戦まで存在した。
若年未婚の女子で、ドイツ民族の血統に属していることが入団の資格だった。
ドイツの将来を担う良妻賢母の育成が理念とされたが、従軍看護婦としての訓練や式典に備えて軍歌の練習も行われた。
youTube Bund Deutscher Mädel
Sturmhaubitze 42, StuH 42
3号突撃砲の車体に105ミリ榴弾砲を搭載したトーチカ攻撃用に開発された突撃砲。
1941年11月のレニングラード戦投入以来、通常の突撃砲に対し約3割の割合で配備された。
総生産数は1212輌。
前線での評価は高く、共に戦った歩兵からは10.5cm StuH 42は絶対に必要との報告がされていたという。
後期生産タイプでは、マズルブレーキは無くても問題ないとの運用結果から取り付けられていない。
■you tube Sturmhaubitze 42映像
オストヴァルトゥルム(Ostwallturm 東方の壁砲塔)
コンクリートのトーチカ上にパンターの砲塔だけを置いた固定砲台。
トーチカ部分は地中に埋めるため、低姿勢となった砲塔の発見は困難であった。
イタリアで1基のオストヴァルトゥルムと対峙した英軍は戦車10両を撃破されたという。
トーチカ内には砲塔回転用のモーターが搭載されておりモーター駆動で砲塔が回転した。
乗員用の簡単な居住施設(ストーブ付き)も内部に設けられていた。
上面装甲は榴弾砲の砲撃にも耐えられるように40ミリに強化されていた。
*参考写真
カール・マイバッハ Karl maybach
マイバッハエンジンの技術者、経営者。
彼の父ウィルヘルム・マイバッハ(Wilhelm Maybach)はツェッペリン飛行船のエンジンを設計製造するエンジン製作会社を経営していた。
父ウィルヘルムの死後、カールは会社を受け継ぎ航空機エンジンの他に戦車や船舶など様々なエンジンを設計製造する会社に成長させた。
第二次世界大戦中のドイツ軍戦車のほぼ全てがマイバッハ社製のエンジンを搭載していた。
戦後1952年にカール・マイバッハは引退し、会社はダイムラー・ベンツ社の傘下に入った。
マイバッハエンジンは現在でもドイツの高級車に搭載され、そのDNAは脈々と生きている。
2002年ダイムラークライスラー社の高級ブランド名として、マイバッハの名を冠したベンツマイバッハが発売されている。
燃料輸送列車からドラム缶とジェリカンに燃料を移す作業を行っている。
東部戦線におけるドイツ軍の補給物資の輸送は大変な労力を要した。
一個機甲師団の一日の燃料補給は約300トンが必要とされ、10日間の作戦行動のためには3.000トンの燃料が必要になる。
歩兵師団には一日70トンが割り当てられていたという。
バルバロッサ作戦開始時のドイツ軍は144個師団、350万の兵力を有していた。
これらの部隊へ毎日補給するのだからとてつもない労力だ。
補給物資は鉄道が通っている主要地点までは鉄道輸送され、後はトラック輸送となる。
ドイツとロシアでは鉄道軌間の規格が違うため、軌間変更作業
が行われたが、ポーランド国境側から合計距離300マイル程度改修されたのみで前線は遥か先であった。
ドイツから鉄道輸送された物資は途中でロシアの鉄道規格にあった列車に物資を積み替える作業も必要だった。
東部戦線の補給は、ドイツ規格の鉄道→ロシア規格の鉄道→輸送トラックあるいは馬車という手順で行われていた。
ミハエル・ヴィットマン Michael Wittmann
ティーガーエースとして日本では有名な武装親衛隊員。
本国のドイツでは親衛隊員という理由から、あまり知られていないという。
彼の輝かしい功績は偏に、「問題解決までのねばり」にある。
強力な敵に対して、単独であろうとも執拗に攻撃を繰り返し、敵の意図を挫くまで戦う精神が、彼に素晴しい戦功をもたらした。
彼の遺骨は、1983年道路工事中に発見され、現在はラ・カンプのドイツ軍戦没者墓地に埋葬されている。
ところで、マリナーズのイチローは、彼に風貌が似ていると思うのだが。
ヴィットマンとイチローは、共に大記録を打ち立てた人物だが、生き方、仕事への姿勢には共通点が多いように思える。
戦闘終了後、放棄され子供たちの遊び場となったヤークトティーガー(Jagdtiger)Sd.Kfz.186。
日本人の戦争体験者は、戦争に纏わるものというとB-29という印象が強いようだが、ヨーロッパでは「戦車」という印象らしい。
バルカンクロイツのマークをつけたドイツ軍の戦車は、ヨーロッパ中を蹂躙し、「恐怖のナチスの軍隊」の象徴的存在だった。
遊ぶ子供たちにとってヤークトティーガーはどのような記憶で残ったのだろうか。
写真の車両だが、車体前部の下部に牽引用のロープが垂れている。
牽引を試みたようだが、放置されたようだ。
ティーガーⅡ系列は重量が過大で、エンジンやトランスミッションへの負荷が大きく機械故障が多かった。
さらに燃費も悪いため、損害を受けなくても燃料が尽きると放置するしかなかった。
■YouTube Get Inside the Tanks: Jagdtiger